【ヤンキーが財源を解説してくれる漫画】への補足意見

 

「支出の財源が税金か国債か、どのくらい税金を徴収するべきか……全部本質的な議論やない」……という趣旨は結構だし
「国とは人」も全人的な“人”のことならばある程度はその通りだけど、
財源論の文脈では“人”の労働こそ生産力の本質だと言ってるように読める。

 

ただの数字に過ぎないカネの本質は正しく認識していても、
生産力の本質(自然資源制約や労働の意義の相対性)については気合不足ないし無頓着であるパターンはままあるよな。

後者の「開悟」こそ枢要で「啓蒙」も難儀を極めるのだが。

 

「国とは人」と強調されることにより「財源」について初めて考えたような人には「賃金を上げろ」「(政府裁量的な)支出を増やせ」とのメッセージとして受け取られる可能性が高いと思いました。

 

供給力は「人」に限らない、というより無人化技術等の進歩によるマンパワーの必要性の逓減モーメントは遡れば石器時代から存在するのであり、
労働力人口のうち第三次産業従事者の比率が過半となって久しい現代では「労働塊の誤謬」の誤謬がごまかしきれなくなっています。

 

「財源=税収・借金」的な固定観念もさることながら「賃金のみによる貨幣分配」に拘泥していては全体としてジリ貧である、ということが供給サイド延いては本邦経済問題の本丸だというのが私の認識であり、
それを端的に「国民皆労働者制(問題)」と表現して累次ツイートしてきたところです。

 

財政規律論を信じてなくても「カネは働いて稼ぐべし」とは思ってる人々は「普通に働けば普通に暮らせる社会の実現」には賛意を示すでしょう。
それでは片手落ちも甚だしく、「トリクルダウン理論」に回収されるのがオチです。

 

ただの数字たるカネを生産力に応じて増やすこと、支出すること以上に「それをどのように配るか」が最も重要な話ではないでしょうか。

 

「税金は財源じゃない」をテーマにした寄稿記事のまとめ

 

©入間川梅ヶ枝

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