「税金は財源じゃない」の3種類の説明の仕方についてからの織原 然の論考

#税は財源ではない

 

というハッシュタグがツイッターのトレンドに上がる現象が起きました。

その現象が起こったことは、日本人の努力と知識的造詣の草の根活動の結実した瞬間だともいえます。

特にその活動に尽力されている財源研究室様の行動力には頭が下がる思いです。

 

しかし、野暮なことを申せばこのセンセーショナルなハッシュタグは、悪用されかねない危険性を孕んでいる、と私は危惧しています。

 

万が一の野暮なボヤキではございますが、財源研究室様に甘え書かせていただきます。

 

 

さて、

 

#税は財源ではない

 

のどこに危険があるというのでしょうか?

 

簡単に言うと

 

 税とは何なのか?

 財源とは何なのか?

 

という疑問に、答えておらず、悪意があればいくらでも捏造できる状態にあるからです。

 

 

例えば、

 

 「#税は財源ではない

   →では無税国家でも大丈夫ですね?」

 

このような発言もハッシュタグの発言には止める力はありません。

無税国家論を呟く短絡的な人々がいることは、実際、ご存知の通りです。

 

 

他にも、こういうタイプもあるかもしれません。

 

 「#税は財源ではない

   →では供給能力が財源なのですね?

   →ということは供給能力が上がることは許容されますよね?

   →供給能力が過剰で発生しているデフレも許容されますよね?」

 

あれ?デフレが容認されてしまいましたね。

 

 「#税は財源ではない

   →供給能力が財源」

 

という人は反緊縮界隈では好んで発言する人は多いです。

しかし、用語の使用すべき方向を誤ると、「供給能力=財源」は最終的に「デフレ促進を容認する」理論に転用されかねないです

 

 

そして、一番の懸念は

 

 「財源」

 

という言葉です

「財源」というのは「貨幣のプール」を連想させます。

「貨幣のプールから貨幣をくみ上げて国民に供給する」という論理は

 

 「商品貨幣論」

 

と言い、貨幣というものを「物質的」に「増えたり、減ったりするものだ」という印象を与えてしまいます。

 

「財源」とは

「貨幣数量説」的であり

「商品貨幣論」的であり、

そして日本の増税論を容認するバックボーンとなった

「主流派経済学」的な発想そのもの

 

なことを示しています。

 

 

#税は財源ではない

 

を唱える、ということは

 

「税とは何なのか?」

「財源とは何なのか?」

 

ということを理解しなければ危うい、と私は危惧しているわけです。

 

 

さて、その危惧を前提に

 

財源研究室様の該当ページ、

「税金は財源じゃない」の3種類の説明の仕方について

から、3パターンの解説を読み論考をさせていただきます。

 

 

 

パターン1:スペンディングファーストにもとづく「税金は財源じゃない」

 

財源研究室様の記事の読み返しをお願いします)

 

①先に税金を徴収するための「貨幣を配らなければ」

②「徴税できない」という現実を突きつける理論です。

 

これは

政府支出(スペンディング)がされてから(①)→確定申告・徴税(②)

 

なわけですから当たり前です。

 

しかし、この当り前さ、というのは実は「財源という貨幣のプール」を前提とした「主流派経済学での説明」の場合でも当たり前なのです。

 

①で財源という貨幣のプールがありそこから国民に貨幣を配る

②国民から税を徴収して財源のプールに戻す

 

パターン1は、財源という貨幣のプールに税という貨幣があり、それを国民に配ったり徴収したりという

 

税を財源とした話でも通用する話

 

でもあるのです。

 

②→①が通用するとでもいうのか?

 

という反論も来そうですが、「昨年度の支出から徴収する」という話で説明が終了してしまうのです。

 

パターン1は、

・税とは何か?→財源という貨幣のプールに貨幣を入れること

・財源とは何か?→貨幣のプールのこと

 

を順番を入れ替えて一瞬困惑させる効果があるのですが、

その内実は「財源(貨幣のプール)」を否定していないため「商品貨幣論」でも説明できてしまうのです。

 

パターン1はそのままですと一般人にしか説得力を持たすことのできない理論と言えるかもしれません。

 

 

(財源研究室様は同ページの下部に

「パターン1の短所その1:結局、担保は税金なのじゃ?」

「パターン1の短所その2:税金が財源じゃないなら、財源って何?」

とその短所も示されておりますが、上記論考では「パターン1の短所その2」が焦点となっています)

 

 

 

パターン2:租税貨幣論にもとづく「税金は財源じゃない」

についてみてゆきましょう。

 

財源研究室様の記事の読み返しをお願いします)

 

この論はクーポン券を政府が任意で徴収する(徴税)ことで、いつでも「国民に配ったクーポン券の価値を増減させることができる」ことを示した理論となります。

 

これは「MMT」の「租税貨幣論」を勉強した人なら理解できる理論です。

MMTを学んだ人はもちろんパターン1のスペンディングファーストも理解できますので、2つを合わせて矛盾なく、「クーポン券の価値」が上下することが理解できるでしょう。

そして、政府が徴収したクーポン券はごみ箱に捨ててもよいだけの価値しかない、ということも理解できるわけです。

 

これは大変に分かり易く、MMT的に粗はありません。

漫画的表現のため、大雑把になりがちな部分があるのかもしれませんが、その表現方法を最大限に活用した説明だと思います。

 

 ①政府が無価値のクーポン券を作る

 ②政府が無価値のクーポン券を国民に配る(パターン1:スペンディングファースト)

 ③政府が徴税をする(パターン1:スペンディングファースト)

 ④徴税により無価値のクーポン券に「価値」を生じさせる

 ⑤回収された価値の生じたクーポン券は日本政府にとっては無価値なのでゴミ箱に捨てられる

 

しかし、この①~⑤は別の解釈で、このように考えることもできます。

 

 ①政府にとっての無価値のクーポン券を保管している「財源のプール」が先ずある。

 ⑤無価値のクーポンを入れる箱、という意味ではゴミ箱も「財源のプール」である。

 

ここで、メタ的思考で考えてください。

「価値がない物質」だからと言って

 

 「その物質を入れる空間が必要がないわけではない」

 

というのはお判りいただけますでしょうか?

 

つまり、このパターン2の租税貨幣論では、貨幣の価値=徴税によって生じることから、「税とは=貨幣の価値を創出すること」だということは証明できましたが、「貨幣を入れるプール=財源=商品貨幣論」は否定していないのです。

 

 

(財源研究室様は同ページの下部に「強いて上げた短所」として

「パターン1と同様に、「じゃあ財源って何?」の疑問には答えにくいこと」

と述べておりますが、私の上記の論考はそこが焦点となっております。

 

 

 

パターン3:そもそもお金自体、本当の財源じゃない

これですが、実はこれが本質であり、正解です。

 

財源研究室様の記事の読み返しをお願いします)

 

国民がお金が欲しい時、政府が債務を背負えば国民に債権として貨幣が現れる。

国民から債権が回収されれば、政府の債務がその分減る。

 

この

 

 「政府の債務と、国民の債権関係」=「貸借関係」

 

 政府が債務を背負えば、債権として国民側に貨幣が生じ

 政府が債務を返済すれば、国民側の債権が減り貨幣が消滅する

 機能で貨幣を発行することを

 

 「信用創造」

 

と言います。

 

信用創造を前提として考えれば、

 

 「財源=貨幣プール」を「スペンディングファーストより先に用意する」

 

という必要が無くなります。

 

これは、取りも直さず、

 

 「貨幣発行において商品貨幣論が否定できる」

 

ということです。

 

プールの貨幣が減ってゆくことを気にする必要がありません。

プールの貨幣が増えすぎることも気にする必要がありません。

 

必要なところに貨幣を供給し、

不必要なところからは徴税でこの世から貨幣を消滅させる。

 

これが「税は財源ではない」の答えです。

 

 

そして、パターン1~3までを合わせて考えることで

 

 税とは何なのか?

 財源とは何なのか?

 

の答えになります。

 

順番的には3→1となるでしょう。

 

3.財源とは何か?→

 この世に財源というものは存在せず、民間で必要な貨幣は政府が負債を作れば生まれる(信用創造)。

 

2.税とは何か?

 「貨幣に価値を付与」する手段(租税貨幣論)

 

1.スペンディングファースト

 2を実行するために前提として必要な行為

 

以上が真実の

 

「#税は財源ではない」

 

だと、私は考えます。

 

 

パターン3を知れば

パターン2で示した

①スペンディングファーストする前のクーポン券を保管するプール

⑤徴税後のゴミ箱というプール

は必要なくなります。

 

パターン1で私が懸念を示した

①で財源という貨幣のプールがありそこから国民に貨幣を配る

②国民から税を徴収して財源のプールに戻す

 

というプールも無くて良い、ということになります。

 

パターン3を知れば

パターン2

パターン1が

 

 「まったく違って見えてきませんか?」

 

それは、このパターン3が最も「メタ的視点」で貨幣というものを枠組みの外から観察しているからになります。

 

 

以上、長々とお話させていただきましたが、

結局、私が言いたいのは、

なるべく、反緊縮・積極財政の経済クラスターと呼ばれる皆さんが、

パターン3に基づいた「信用創造」を前提とした「#税は財源ではない」を唱えて欲しい、ということであり、

パターン3に基づいた上でパターン2そしてパターン1の説明を行って欲しいということです。

分かった上で説明をして頂ければ…。

 

 

と考えて乱文ではございましたが、この度寄稿させていただきました。

 

財源研究室様。

乱文極まりない拙作の寄稿をお送りさせていただきますお受け取りいただければ幸いです。

また、この度、最後までお読みいただいた方々には私の拙い乱文をお読みいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。

 

 

祖国日本と国民の皆様の一助となれば幸いでございます。

ありがとうございました。

 

織原 然 拝

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