経済を身体に例える話をききます。
財政でお金という血を流し、頭脳や神経?からどこにどれだけお金を流すのかを指示して体中に巡らせ、血液から新鮮な酸素や栄養を受け取ったいろんな臓器(会社)や細胞(国民)がいきいきと働けるようになり、不要になったお金は汗や税で外に出す、という風に。
なら逆に身体からも経済を見ることもできるのではないでしょうか。
そんなときたまたま安保徹さんという医学者が書いた本『免疫力を高める生き方』という本を知りました。
一部を紹介します。
(安保徹『免疫力を高める生き方』より)
> 自然治癒力とは「発熱」する力
> どのような修復で終わるにせよ、安定した状態が壊れて、新しい細胞や組織をつくり出さなければならないので、代謝の亢進が必要である。
> 代謝を高めるために必要なことは発熱することである。
> 自然治癒力とは「発熱」する力と置き換えてもよいくらいである。
風邪を引くと普通考えるのは、悪いものが入ってきて体に悪さをして熱を出させるんだ! だから熱はすぐに下げないといけないんだと。
でも実は熱が上がるとは体の守る力を高めるもの、というまったく逆の主張です。
経済もお金や税についてあべこべな状態になっているのではないでしょうか。
税金という金を先に回収しないと財政で出すことができないとか、何かをするためには増税が必要だ、とかとか。
少子化対策するのに消費税増税が必要だといった団体もあるようで。
根っこの考え方がまるで違うとやることなすことすべてあべこべになる。
経済のこれまでの常識を疑う様に、経済以外のことも当たり前だったことにも疑問を持つべきなのかもしれません。
経済だけでなりたっているのではないし、経済だけよくなるなんてこともないのでしょうから。
もうひとつ、安保徹『人が病気になるたった2つの原因』の「おわりに」からの抜粋を紹介したいと思います。
(安保徹『人が病気になるたった2つの原因』より)
> 忘れてはならないのは、それ(ガンを含めた病気)が適応現象であったということ。すなわち、必要であったからこそ生じたのです。
> この深い気づきを得ることで、私たちは本当のバランス感覚が手に入れられます。
> 生きることの素晴らしさ、あるいは、プラスとマイナス、陰と陽で成り立っているこの世界の本質を肌で感じられるようになるでしょう。
> そして、その気づきは、自分自身の生き方に反映させていけるものです。
> 誰かに教えてもらう、誰かに治してもらうというこれまでの不自由な生き方から脱却し、自分の人生を切り開いていける知恵にもなります。
陰と陽で成り立っているって経済で言えば負債と資産が裏表のようにあるという事と同じかもしれません。
ちゃんとした負債があるから資産もきちんと価値あるものとして成り立つんだと。
負債やお金というモノを今まで言われている常識から疑うことが、誰かに教えてもらいただ従うだけという不自由な経済から抜け出し、私達の歴史を切り開いていける知恵にもなるのかもしれません。
じゃあその負債ってどんななの?というと、日月神示というのを紹介します。
これまた経済とは元々は関係ないでしょうが、日月神示に繰り返し出てくる「悪は元をただせば善である」という概念とも通じるものだと思うのです。
(『日月神示』第21巻 空の巻 第八帖)
> 悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ
です。
この「悪は元をただせば善である」という考えって負債と資産、お金についても同じことがいえるんじゃないかと。
悪→負債
善→資産
と言い換えてみると、
負債も元ただせば資産であるぞ、その働きの御用が負債であるぞ、御苦労の御役であるから、負債憎むでないぞ、憎むと資産でなくなるぞ
となります。
現代は負債をツケや借金などと呼びいらないもの、なくしたほうがいいものと、とにかく嫌い遠ざけようとしてる様に見えます。
負債は悪いもの外からやってきてどんどん増殖し経済がもたなくなるんだぞと。
今の私達は何かを悪者にして切り捨て自分が勝者に、他人に負担を負債を押し付け負け組にさせ自分が金を得ようとするのが当たり前になってきている。
負債は悪いから一切なくすべきと負債は悪だからと切り捨てようとしている。
だから、負債は無くせ減らせそもそも作るなと増税や緊縮経済を私達は受け入れてきたのではないでしょうか。
こんなニュースも見ました。
『過疎地への配水はタンク車で…老朽化した水道管の維持難しく厚労省が指針』
『学校給食の停止、全国で相次ぐ 供給会社が破産手続き』
個々の問題はあるでしょうけど、大きく見ると結局は負債を恐れた結果、お金を作らず使わず過疎地を見捨て学校給食も崩壊するのを手をこまねいていただけ。
血液が私達の身体の内側で作られるように、負債も私達の社会の内側から生まれ出ているのではないか。
負債そのものはなくならないし、負債を嫌えば嫌うほど遠ざけようとすればするほど、かえって背負えないほどの負債で押しつぶされるようになっていく。
それは結局善としての資産も減っていき、お金もなくなり給料はあがらず売り上げは減り、経済という物作りも衰え、まっとうな税のお互いにという考えも遠ざけ、ババを押し付けるように負担を押し付け合う様になってきたのかもしれません。
©柾木
category:思索にふける柾木 / tags:国債