お金について調べるといくつか働きがあるそうなんです。
支払手段、貯蔵、標準尺度
といった具合に。
なんか難しそうな言葉ですがざっくりと理解してみると、
支払手段、わかる。物を買うのにお金を払うんだからその通り。
貯蔵 、これもわかる。その金は貯金できないよ、となるとなにそれ?と思ってしまいます。
標準尺度、うんわか…る? これはぱっと見わかりにくいですが、簡単に言うなら値段でしょうか。値段がついているという事は、お金はいろんな物の価値の物差しになる、と。
今の私達は値段についたものに囲まれてます。
それなしではまともな生活ができないくらい。
スーパーに行って棚に商品が並んでいても値段がついてなかったら? 全部時価とか言われたら怖くて買いにくいですね。
金で買えない物はないくらい、なんて言ってしまいそうなほど現代は身の回りの様々なものに値段をつけてしまってます。
逆に値段が付くことで安心できてしまう。
ならその金の裏付けになるものがゴールドになったらどうなるのでしょう?
多くの物やサービスや働きがゴールドで決まる、という事になりはしないでしょうか。
例えとしてちょっと極端に考えてみます。
金の裏付けがゴールドというのなら、税金で納めるのもゴールドだって良いという事になります。
だって金の源というのだから。
そこで税金で納めることができるのがゴールドのみ、となったらどうなるでしょう。
みなゴールドを求めゴールドの価値はあがり、それだけでなく様々な物の値段がゴールドを基準に決められることになる。
ならそのゴールドをたくさん持つ人が物の値段、経済の価値を決めることができるようになる、ということではないでしょうか。
ゴールドをどれだけ集められるか? どれだけゴールドを持っているか? でその人の価値が決まる。
例えば、面白い漫画を描くことができる人がいるとします。
でもそれになんの価値もありませんね。
だってその漫画でゴールドは手に入れられない、ゴールドを入手するのに何の役に立たない、文字通り金(ゴールド)にならない。
ゴールドをたくさん持つ人、手に入れられる力を持つ人がその漫画を面白い欲しいと思ったなら、その漫画は価値がでて金になるかもしれません。
そんな風に自分の働きがあなたの働きが皆の働きが全てたった一つのモノで決まる、どれだけゴールドを手に入れられるか?、で測られる、値段が決まる、給料所得も決まってくる。
では信用に裏付けられたお金だとどうなるのでしょう。
お金なのだから物作りや働きが関係してます。
ゴールドを目の前に積まれたらつい欲しくなってしまいそうですが、でもお金で買いたいものはゴールドだけではないですよね。
面白い漫画も欲しければ、安心で美味しい食べ物も欲しい、旅行だってしたいなどいろいろ欲しいでしょう。
なら別にゴールドだけに注目しなくていい、漫画が読みたいと思ってる人に面白い漫画を描いて渡して対価としてお金を受け取る。
安全で美味しい食べ物を欲しがっている人に作ってあげて対価にお金を受け取る。
さらにお互いにという約束もなければ信用なんて成り立ちません。
お前だけは約束を守って俺は無視できる、なんていう人やそんな契約はだれも信じません。
そんな風にお互いがいろんな物を作る、物作りとお互いにという信用を結ぶのが「まっとうな税」とそれに支えられた「まっとうなお金」。
税を納めるには働いて給料を手に入れないと払えません。
給料を手に入れるには皆得意な事や好きな事、できる事で働いて様々な物を作り働き、それを同胞に渡す。
現代では税で納めることができるお金は国が指定したもののみです。
ならそんな信用に裏付けられたお金、今の私達のお金である「円」のみとする事にどんな意味があるのでしょう?
それは、信用が裏付けになっているお金=色んな物を作れる、という事が私達の経済の力の源とみなすと宣言しているようなものではないでしょうか。
そんなまっとうな税という信用に裏付けられたお金は、ゴールドだけじゃなく私達が欲しい物、面白い物、便利な物など、皆が自分の得意とする物を作ることでお金を信用を作ることができるようになる。
ゴールドというたった一人のスターに頼ることなく、多少の差はありますが皆がおのおの自分の働きで作り上げた物、そしてそれらを「お互いに」譲りあう負担し合うという約束がお金の源になる。
日本のお金は今のところ信用に裏付けられたお金という事になってるようです。
でもその中身はというと、今だけ自分だけ金だけという考えで経済は社会は動いているように見え、政府役人は国民を信じずいじめ貧しくし自分の金を増やそうとし、国民は政府役人を信じず民間企業や企業家は政治を利用し自分ところの売り上げを増やすだけしか興味がない。
そんなところではお互いを信じるなんていう信用が生まれるでしょうか?
信用に裏付けられたお金、なんていってもその中身はすでにゴールドマネーに近づいているのではないか。
前述の【復活のゴールドマネー】で紹介したゴールドを裏付けとした通貨ができるかも?というニュース関連で、世界の中央銀行はゴールドを集めまくっているなんて話題も聞きました。
じゃあそのゴールド争奪戦に乗り遅れた国は国民は当然金を発行できない、もしくは少なくなる。
欲しいものがあってもその買うための金がない、裏付けにしたゴールドが手元にないのだから金を刷ることができない。
ならどうすれば金をゴールドを手にいれられるのでしょう?
それは自分の為でもなく同胞の為でもなく、ゴールドをたくさん持つ国持つ者らの機嫌をとって金(ゴールド)持ちの欲しい物を作り働かなくてはいけなくなるのではないでしょうか。
物が溢れていていてもそれを買う金がない、物がなければそもそも金は意味がない。
ゴールドを裏付けとする金のニュースからいろいろ考えてきましたが、実際にそんな金が作られても今言った事に即なるというわけではないと思います。
実際は政治や経済などの思惑が絡み合い、いろんな金がごちゃごちゃ入り混じって進んでいくでしょう。
でもゴールドマネーが広がるほどその方向に流れていく、徐々に金持ちの為のゴールド持ちの為の経済に社会への流れがさらに加速していくのではないか。
お金とは何か? お金の裏づけって何!?、を考える事、そしてどう行動する事。
それは私達の生活を、経済の方向を、社会の流れを決めることになりうるのかもしれません。
なのでお金っていったい何だろう?とちょっとだけ考えてみました。
category:思索にふける柾木 / tags:お金