「税は財源ではない」は本当?~税は「何に」なるのか~

はじめまして、柾木といいます。
財源研究室さんの厚意とめぐりあわせで今回、税やお金についてあれこれ考えた文をのせていただきました。
経済って難しくいろいろこんがらがってきますが、税やお金について考えるきっかけの一つにでもなれば幸いです。

 

財源。
よく聞く言葉です。
財源はどうする? 財源は何処からもってくるんだ?、などなど言われたりします。
そして最近、実は税収は財源にならないというセリフも聞くようにもなってきました。
これはいったいどういうことなのでしょう。
税収で金を回収しそれを使っていろいろなことをする。
なら税収は財源って言ってもおかしくない様に思えます。
税は財源にならない。
これはどういうことなのか? 本当にそうなのでしょうか?

『税はいったい「何に」なる?』

税は通貨というお金を回収することですね。
では、その通貨を作っているのは誰でしょうか?
政府(日銀含む)ですね。
政府が通貨というお金を作り行き渡らせるからこそ、私達は税として通貨を返すことができるようになる。
ぜひとも税を返したいという奇特な人がいても、ないものはそもそも返す事なんてできません。
税で金を回収してそれをもとに財政をやっていこうとしたところで、その通貨を作っているのは政府です。
先に政府が通貨というお金を作り広く行き渡らせないと誰も税金を払えません。
そう考えたら、確かに税は財源という今の私達のお金にはならないと思われます。
税は財源になりえない。
そうかもしれません。
でもふと思いました。
じゃあ、税はいったい「何に」なるんだろう?、と。

『税と蛇口と排水溝~水はどこへ巡る?~』

通貨と税について洗面台の水の流れに例えているのを見たことがあります。
蛇口から水が出てきて、洗面台にたまりつつ、徐々に排水溝から水が流れ消えていく。
これを経済で言い直すなら、通貨発行でお金が生まれ、財政出動という蛇口から出て、経済という台でたまりつつ、税という排水溝から流れ、お金は消える。
つまり、蛇口から通貨という経済の水を出し、国民経済という器にためつつ、税で流し、お金を消滅させると。
税というのはお金をなくすものなんだ、という見え方。
……本当に? お金という水って本当に消えたのでしょうか?
「自分の目の前」からは確かに消えてなくなります。
しかし水は排水溝をながれ、川を流れ海にでて、温められ、水蒸気となり、雲となり、めぐり空で冷やされそして水に戻る。
自分の目の前、そして水という形では消えてなくなるかもしれませんが、姿かたちを変え、それはまた巡る。
通貨というお金もまた、形を変え巡っていくのではないでしょうか。

『夏休み』

夏休み。
学生が長い時間学校を休む時期ですね。
会社や仕事だと、そんな長い休みなんてそうそう取れません。
でも、ちょっと大げさに考えてみます。
仕事で夏休みを取れたらどうでしょう。
それも数か月程度じゃなく数年ほども。
そんなに長い休みを取れたら嬉しいですが、仕事を数年間も休んで、そしていざ仕事始めとしてやったとしても休む前と同じだけのスピード量でやれますか?
腕を必要とする仕事ならなまりきって、かつての仕事量をこなすにはまた相当の時間を費やさないといけないのではないでしょうか。

スポーツなんかで考えたらより分かりやすいですよね。
数年間のなんのトレーニングをしていなかったなら、身体は衰え同じ動きができるとは思えません。
適度なトレーニングをしつづけることで身体という力を維持できるように、適度な仕事をし続けることで腕は磨かれ慣れていき、スムーズにやっていけるという面もあるのではないでしょうか。

『税は私達の仕事の土台の経験値~力の維持(メンテナンス)~』

通貨を発行し、それを行きわたらせ税で回収する。
税を払うには、物やサービスを作り働かないといけない。
働くことで、それは仕事の経験値となる。

それは、様々なノウハウが蓄えられる。
技術が磨かれる。
取引先という繋がりができる。
物作りの知識が蓄えられる。
会社が動く。
工場が稼働する。
そうやって通貨というお金が形をかえ、様々な物作りの土台として私達の内側に蓄えられる。
税の形としてはお金を払う、ということです。
そこだけみたら、せっかく働いて得た金をとられるだけとしか見えないでしょう。
しかし、税を払う事を通じて仕事をし物作りの力を維持し鍛える、といった役割もあるのではないでしょうか。

『税は将来世代の財源の源』

お金ってなんでしょう? お金があってもそれで買えるものが無ければ意味がありません。
買えるだけの物を作り上げないとダメですよね。
なら将来世代は、私達が維持し残した様々な物作りの力を土台として、財源というお金を作りあげることができるのではないでしょうか。
これは例えるなら、税は将来世代の「財源の源」になる、と言えるかもしれません。

『お金の源って?』

将来世代が欲しい物は、将来世代にしかわかりません。
なら将来世代が欲しいと思ったものを、即座に作り上げられるだけの土台を残してやる。
税は、将来世代の財源の源になる。
では、財源ってなんでしょう。
「普通」はお金のことを指しますね。
じゃあ、お金の源って?

『税が将来世代の財源の源になるのなら、今の私達の財源の源はどこからやってきた?』

税は、今の私達にとって財源にはならない。
しかし、将来世代の財源の源になるのではないか、と述べました。
これが、正しいとかいうつもりはありません。
憶測推測仮説でしかないでしょう。
しかしその視点でみたら、もう一つ見えてくるものがあります。
それは、今の私達の財源の源はどこからやってくるのか?、です。

『過去からやってくる』

財源の源はどこからやってきたのか?
今の私達の税が将来世代の財源の源になるというのなら、当然今の私達の財源の源は過去からやってきた。
過去の世代の人らが、税を納めるために自分の金利益にならなくても、働いて物を作ってくれて様々な物をのこしてくれた。
作った物を知識を技術を外に持ち出し売った方がもっと儲けられたかもしれないのに、税額分は内に残し税を払うために、作った物を物作りの力を内に蓄え残しておいてくれた。
その残したものを土台として、今私達は通貨というお金を作ることができるのではないでしょうか。
「まっとうな財政」「まっとうな税」でそんな流れを作る。
お金を作ってもそれを買うための物がなければ、使えない意味のない金です。
そのお金に合った物を、過去世代が残した知識で技術でノウハウで工場で会社で作り上げる。
そうして、まともに使えるお金となり得るのではないでしょうか。

『財源はどこだ?』

財源はどこだ? どこからもってくる? と色々言われます。
税金から持ってくる? いや政府自身が通貨を作っているのだから政府自身が財源を作ることができるのだ、と。
たしかに政府(日銀含む)は金を作っています。
しかし、お金ってそれだけあれば良い物ではないですよね。
金があります。
でも、それで買えるものはなにもありません。
そんな金誰も欲しがらない。
物がある。
物が買える。
物が売れる。
売り買いするために、物を作る作り上げる。
物作りが裏付けにあるからこそ、お金は価値を持ち信用される。
政府だけでお金の中身、つまり国民の需要、欲しがるものを全て作り上げることができるのでしょうか?
私達が欲しいもの、例えば食べ物を買うにはお金を使います。
なら、全国民が欲しがる食べ物を政府政治家役人だけで作りあげきらないと、お金の一部は使えない金になりかねない。

食料品の値段が上がって大変? なら政府が金を作ってそれに見合った食べ物も作ればいい。
そうすれば安い食べ物をいくらでも買えます。
電気代が上がって大変? なら政府が金を作ってそれに見合った電気を作ればいい、電気を作るのに石油がいる? なら政府がさくっと石油を作ればいい。
そうすれば安い電気を幾らでも国民は使えます。
でも食べ物や電気石油って簡単に作れるものでしたっけ?
作れなかったらどうなるのか。

政府が負債を発行しました。
これは金です。
でもこれで買える物はありません。
もしくは一部の金は使えません。
政府だけでは、その金で買えるだけの物を用意できないからです。
使えない金を掴んだ人は残念でしたね。
でも金です。
みんな欲しがってください、金なんだから欲しいに決まってる、欲しがれよ!

納豆引換券を全国民にあげます。
でも国民全員が引き換えるだけの納豆は作れませんでした。
使えない券を掴んだ人は残念でしたね。

こんな金になってしまわないでしょうか。
全てのお金がお金として使える保証は、政府だけではできない。
なら誰がお金の源を作るのかと言えば、それは国民ではないでしょうか。
国民という物作り力を足さなくては、中身が空っぽのガワだけ。
政府が作れるのはお金の外側、いうなれば器だけなのではないでしょうか。
中身を作るのは国民の方。
政府でしかできないことやるべきこと、国民でしか作れないものやるべき事。
両者がそろって初めて使えるまっとうなお金になるのではないか。
政府は通貨を作ることでお金の器を作り、それを税を課すという形で国民に物作りを担ってもらいお金の中身を作りあげる。
財源といわれれば普通、金のことが頭に浮かびますね。
しかし、金だけ自分だけ今だけという視点では、見えるものが違ってくるのではないでしょうか。

『金だけ自分だけ』

金だけ自分だけという視点でみると、税はせっかく稼いだ自分の金を無理やり持っていかれる嫌なもの、いらないもの、無くしたほうがいいものとして映るでしょう。
自分で稼いだ俺の金なのに、なんで税で奪われなければいけないんだ!
政府はまるで国民に金をたかって無理やり奪っているように見える。

政府を自分という個と重ね合わせて見ると、自分で作った金ならいくらでも自分で刷って返せばよいとなり、政府は金をいくらでも作れるようにみえ、財源をどれほどでも作れ、無税国家もできるように映る。
そもそも、自分で作ったのを自分で返すなんて必要ない、それは返済しなくてよい負債としても見えるようになる。
政府が金を発行するだけでその金は価値を持ち、返済という物作りをする必要もないというのなら、もはやそれは金や銀といった商品と同じ、その金はいつでもどこでも、インフレでもデフレでも、財政出動しようが緊縮しようが、国内でも国外でも、価値を持つような気がする、政府からも国民からも国家からも物作りからも切り離された純資産、というふうにも見えるでしょう。

税は負債を返し通貨をなくすことなんだから、それは国民の給料をなくし民間の所得を奪うもの、という奪う奪われるという視点でしかみていないのなら、税はなくせばいい壊せばいい、もしくはそんな税をかけるなら政府側の政治家の給料も減らせばいい、国民も政治家もみんな一緒に貧乏になればいいんだ、みんなで貧乏になれば怖くない、という自虐にハマる。

『今だけ金だけ~税の現世利益~』

今だけという視点で税や負債を見たら、どうなるのか。
今、増税したら税収が(たまたま)増えた。
なら、増税し続ければ税収は増え続け財政もよくなっていくはずだ、と考えるでしょう。
今正しいことは、将来も正しいに決まっているはずだ!、と。

税が今の私達の何の役に立っているのか? 財源として役に立って・・・はいません。
なら税は、行き過ぎて景気が熱くなりすぎたのを抑える「景気の調整」や、多くなり過ぎた需要を税でお金を回収することで抑える「物価やインフレ抑制」、または所得の多い人からは多くの税を回収する、低い人からはそこそこという「不公平の是正」、とある政策を実行しやすくするため、といった「今」役にたっている機能としてのみ映るでしょう。

今だけ金だけでみたら、政府の支出と納税は繋がっていないように映る。
政府が金を発行しました。
回収しました。
終了。
こんな風に税を納めたら通貨(負債)はなくなってそれで終わり、税金で返済なんてしたら民間の金をなくし国民の金を買う力を単に壊すだけ、と見えるでしょう。

『今だけではない、自分だけではない、金だけではない』

しかし今だけではない、過去現在未来という流れで見てみる。
自分だけではなく、自分と相手の関係を含めてみる。
そして金だけじゃなく、物作りという視点で見たら税はどう映るのか。

税を今だけ増やすのではなくこれからもずっと増やそうとするのなら、通貨を「適切」に増やし、国民の所得になるように使い、国民の財布の中身を増やし続ける必要がある。
国民の財布の中身が増え続けないと、税も増やし続けることはできませんから。
そして、税を納めるためにはお金が必要。
お金を手に入れるには、給料所得がいる。
給料を得るには、働いて物やサービスを作らないといけない。
物作りがかかわってくる。
しかも、ただ作ればよいというものではないです。
以前に述べたことがありますが、同じ通貨を持つ同胞の欲している物、需要としている物を作って相手に渡さないと税として払う(返す)通貨が手に入らない。
譲り合い助け合いの為の物作りが必要になる。
では、私達が譲り合いをするための物作りをしたらどうなるのでしょう?
物を作るのに何が必要でしょうか? 知識がいりますね、技術もいります、ノウハウだって欲しい、いろんな人との人脈がいる。
会社という物を作るところも必要、取引先もいる、作った物を運ぶ道路だって必要、港も橋もいる。
それらを持っている安全な街、便利な都市、豊かな村がなくては、安心して働けません。
それ以外にもいっぱいいるものがあるでしょう。

お金を発行し使うことで、それらを作り鍛える。
それは、お金の形を変えて物作りの力として、物作りの経験値として蓄えるということ。
蓄えるといっても「どこ」に蓄えるのでしょう?
通貨を発行し税で回収する。
それは、税を納めるとは自分の財布からお金をだすのだから、税額分は自分の金にはならない。
しかし税を返す事とは、働き物を作り将来世代の為の物作りの土台を、外に漏らさず自分達の国に街に村に都市に会社に「私達の経済」の中に蓄えた証。
通貨という負債を作りみんなに行き渡るように広く使い、税で回収するという流れの中でお金だけでなく、そういった物作りの流れもあるではないでしょうか。
そんな物作りの流れを促す「まっとうな税」をやるからこそお金は巡り動き使えるようになる。

『受け継ぎ託す』

過去から受け継がれてきたのを背負い、将来に託していく。
それは資産だろうが負債だろうが同じなのではないでしょうか。
というか、誰かの負債は誰かの資産だというのなら、過去の負債を負うからこそ、過去の資産を受け取ることができる。
そこを返済しなくてよい負債といって、連綿と流れている負債を否定し資産だけを得ようとしても、それは過去世代を否定し過去の資産も否定し歴史も伝統も負わず、未来を見失い結局何も残らないのではないのか。
どこから来てどこに行けばいいのかわからなくなる。
まっとうな税まっとうな財政まっとうなお金はこう言っているのではないでしょうか。
将来世代を助けるのは、過去世代が残した負債も資産も背負い、過去世代の負債を返すために、過去世代の作り上げた資産を存分に使う、私達の譲り合い助け合いの物作りがそうなのだと。

(出典:お金のおススメ(柾木/AmazonKindle)より抜粋)

 

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