皆さん、こんにちは。シンです。
今回は、以前の自己紹介の続き・・・のような記事となります。夏だからこそ、沸き起こる気持ちを記事化しています。
以前の自己紹介記事↑を先に読んでいただいた方が私の気持ちを分かるかもしれませんし、
- 読んでもやっぱりまだまだ分からないかもしれません←オイコラ
そんな感じで、気楽に「こんなこと考えていたんだ~」位の気持ちでどうぞ ご笑覧よろしくお願いします。
- 私のどうしようもない気持ちを読み…(流して?)くれた上で、日本の先行きに不安を抱える皆様にお伝えたい本題が最後の最後についています。
実は、私には、誤った財源論とか「国の借金」のウソよりも、長年、それこそ子供の頃から解決したいけど、どうしたらいいか分からず思い悩んだり、時には見ないようにしたりしていることがあります。
“自然破壊”です。
自然破壊といっても、例えば地球温暖化のような地球規模の環境問題を何とかしたいとか思っている訳ではありません。もっと身近な、目を逸らしても、どうしても目に映ってしまう自然破壊です。
都市開発とか、農薬・除草剤 散布とか、伐採とか、そのような目に映る様々な自然破壊です。
- そういう自然破壊は私たち人間が暮らしていくのに必要な・・ある意味、必要悪の行為なのかもしれません。
でも、私はどうしても考えてしまうのです。
私たちは、何かを…他の生物の命を…こんなにも犠牲にしないと生きていけない存在なのかと・・
私は必要以上の殺生はしたくない、目にしたくない、やってほしくないと思っています。
どうしたら、私たち人間はもっと他の生き物に優しくなれるのだろうか?数多くの殺生をしないで済むのだろうか?と
他の生き物に優しくできることは、ひいては私たちの中でも立場の弱い人間、例えば…経済的弱者、身体の不自由なひと、子供、お年寄り、女性に優しくできることにも繋がると思っています。
私の言う生き物とは、哺乳類だけでもなく、昆虫も含んだ動物だけでもなく、植物まで含みます。
- (流石に、微生物までは思い至りませんが笑)
私は田舎育ちで小さい頃は、(家族も含めて)沢山の生き物を飼っていました。
犬、猫、金魚、コイ、ザリガニ、カニ、カブトムシ、クワガタムシ、トカゲ、カナヘビ… そういえば、ブタも家で受託飼育していたときもありました。
餌にしていた生き物も含め、多くの命に触れ 摘み取り、今では自分では生き物を飼うのは責任重大過ぎて無理~って思ってしまう位の、自分にとって取り返しのつかない…無数の経験をしてきました。
- 生き物が好きすぎて、逆にもう自分では飼うこと、命を預かること、引き受けることは無理~って躊躇ってしまうのです(笑)
同じく共同代表のももさんにも生き物飼うのを勧められるけど、それでも無理なのです>、<ってやり取りを何度もしています。
また、私は子供の頃から植物、更に雑草と呼ばれるものでさえも好きでした。
雑草も色とりどりで個性的で見るのが楽しいし、コンクリートの隙間とかそんなところからも生えてくる、いわゆる“雑草魂”が好きです。
そんな私が子供の頃から嫌で、さぼりがちなのは、草抜き(笑)
田舎暮らしには草抜きは欠かせないものですが、生えるところを選べず何で頑張って生きている命を摘み取る必要があるのかな?って、子供の頃からおぼろげな考えであっても…ずっと疑問で分からないのです。
見た目が綺麗になるからとか、そうしないと周りにある住居や作物に影響があるからとかって、一般的には論理的には草刈りが必要だからって言うのは、分かるのです。ただ、心が追いついてない、納得してないと言いますか(笑)
勿論、農薬とか除草剤とか、ホント嫌で、今でも目にすると内心やるせない気持ちになっています。
子供の頃は、ヘリコプターでの一斉 農薬散布後にザリガニや魚も犠牲になってしない、池にプカプカ浮いていた光景は今でも忘れないですし…
除草剤を撒こうとしていた祖父と口論になったこともあります。
- (祖父の言い分は「だったら、お前が草むしりしろ」・・・一般的にはぐうもでない正論ですよね笑 当時、私は何でこういう気持ちになるのか自分でもよく分からないかったので、草むしりも手伝わずに只々わがままを言っているようなものでした)
大人になってから(子供の頃より)都市部にでたので、私にとって嫌な光景を見ることは少なくなりましたが、草や動物をよく見ることになる夏場は心がざわつきます。
夏は命に満ち溢れていて、そして、その命が摘み取られる光景からも目を背けることができない、私にとって好きな‥そして残酷な季節です。
普段、散歩でよく見る川べりや空き地の雑草が刈り取られているのを見ると、内心、心が痛んでしまいます。
普段、見て楽しんでいた雑草がなくなることも悲しいですが、その下には多くの小動物もいたのだろうなってT.T
- こんなことを考えていても、別に清く正しく生きている訳でもなく、悲しいことは見ないようにしていることが多いです。偽善だとは自覚しています。実践できているひとは凄いなと思うのですが、何を実践したらいいのかそれすらも分からない状況。自分の気持ちの問題だとも思うのです。割り切ったり、「弱肉強食だから(傲慢にふるまって)いいんだ」と考えるひとが出るのも一つの解決なんだと思います。深刻に考え過ぎたら、精神を病むから、ほどほどに・・・でも、考えることは続けて・・
映画『もののけ姫』は私の考えの転機でもありました。初めて見たとき、もの凄く衝撃を受けました。
- もののけ姫(スタジオジブリ)⇒https://www.ghibli.jp/works/mononoke/
子供の頃、自分の中で考えがまとまらなかった、悶々とした想いが一気に形作られたような感覚。
「そっか、人間って現代から自然破壊を始めた訳ではなく、大昔からずっと破壊を続けていたんだ!」って、気づかされ・・・自分が訳が分からずに悩んでいることは、とっても根深い問題だということが分かりました。
それまで漠然と、「動物のお医者さん」を目指していたのですが、
『もののけ姫』を見てから考えが変わり、もっと根本的な解決することに関わりたいと、森林関係の学部に行くことに・・・
その大学の日々でも何だかんだあって、結局、今の仕事についています。
更に、同人サークル・財研出版の共同代表として、日本の経済や財政に関わることに(笑)
- ・・・ずっと色々考えた中で、
結局、「人間の暮らし・技術を向上させる」しか、自然破壊の解決策は見いだせてないです。
- 例え、人間が絶滅したとしても、それに伴い多くの動植物が巻き沿いになる訳でそれはそれで最悪の選択だなと・・考えています。
- 一方で、昔よりもはるかに便利になった今でも、悪目立ち目的で野生のクマを人里に誘導したりするYoutuberがいたりして、「人間の暮らしを向上させる」解決策が本当にいいのかは時々考えたりします。どこまで技術が進歩したら、人類は自然環境について優しくなれるのかな、とT.T
生活が豊かに便利になるつれ、優しい気持ちの人々が増えている!!・・と思いたいのです。
- そして、繰り返しになりますが、私自身の中には、物事を冷徹にみる自分も同居していますし、見ないふりをしようとする都合のいい自分も同居しています。何をもって自然なのか、私が護りたい生き物なのかの境界線も明確ではありません。だから、この記事は矛盾に満ちた私の一面の気持ちを説明しようとしている記事
・・・恐らく、自然破壊は、私が命尽きるまで考え続ける話なんだと思います。私が生きている間に私が望むような形にはならないと思うのです。自己矛盾も含めて、ずっと考え悩まされる・・・そんな話題・・・
で、このどうしようもないグダグダな記事から私が、読んでくれている皆様にお伝えしたいこと
確かに今、財源論の誤りとか、「国の借金」のウソとか、自己責任論とか、新自由主義とか、株主資本主義とか、消費税インボイス制度推進とか、、、、、、、色々まかり通っていて、どうしたら変えていけるのか、ほとんどのひとにとって先行きが見通せない状況だとは思うのです。
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でも、先にあげた、私の解決したいグダグダな自然破壊の話と比べたら、どうでしょうか?
ずっと楽に、今悩んでいるほとんどの人たちが生きている間に解決できる話だとは思いませんか?
少しでも、気が楽になれば幸いです。
乱筆乱文の中、最後まで読んでくれてありがとうございました。
- 熱い夏に誘われ、つい書いちゃいました>、<
最後の最後に・・この記事を書く勇気をくれた、背中を押してくれた、ももさんに感謝します。
- アイキャッチ画像・もも様
©シン
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